イチローさんも大変だったんだね… 命について考えちゃうよね…😢
阪神・淡路大震災から、もう30年になるんだね…。時の流れって、本当に早くてびっくりしちゃう。この震災では、たくさんの人が亡くなって、今もなお行方不明の方がいるんだ。😥 内閣府の発表によると、まだ3人が行方不明のままなんだって…。その中の一人、神戸市須磨区に住んでいた佐藤正子さん(当時65歳)は、全焼したお家から何も見つからず、ご家族は今もなお、気持ちの整理がつかないままなんだそう…。
正子さんの長女、悦子さん(61歳)は、この30年間、お母さんとの「別れ」を受け入れるために、本当に辛い日々を過ごしてきたんだと思う。想像するだけで、胸が締め付けられるよね…。今回は、悦子さんの30年間と、震災で行方不明になったお母さんへの想いに、寄り添ってみたいと思うよ。
悦子さんが最後に正子さんと話したのは、震災の2日前の1月15日の夜。 「お正月に京都に行ったから、お土産を取りにおいで」 って、正子さんから電話があったんだって。なんてことない、普通の会話だったのに、それが最後になってしまうなんて…。きっと、悦子さんは今でもこの時の会話を鮮明に覚えているんだろうね。もし、あの時こうしていれば…って、何度も考えてしまうんだろうな…😢
正子さんは、とっても 優しいお母さん だったみたい。厳しく叱ったり、「勉強しなさい!」ってうるさく言ったりすることもなかったんだって。仕事で忙しくて、家にいることは少なかったから、悦子さんは小さい頃、帰宅途中に洗濯物が干してあると、「今日はお母さんお休みだ!」ってワクワクしたんだそう。なんだか、ほっこりするエピソードだよね😊 働くお母さんの姿を見て、悦子さんもきっと、頑張り屋さんな女性に育ったんだろうなぁって思う。
正子さんは、悦子さんが独立した後は、生花店で働きながら、一人でアパート暮らしをしていたんだ。 そして、あの日、1月17日の朝。神戸を襲った 大きな地震 。 あの時の揺れは、経験したことがないほどの、ものすごい揺れだったって聞いたことがあるよ。
悦子さんは、すぐに正子さんのアパートに電話したんだけど、繋がらない…。心配で心配でたまらなかったと思う。交通機関も全部止まってしまって、やっとの思いで知人のバイクに乗せてもらって、アパートに着いたのは、震災から3日後の20日だったんだって。想像を絶する状況だったと思う…。
そこで悦子さんを待っていたのは、 全焼したアパート の姿…。焼け跡からは、正子さんが愛用していた腕時計や食器、年賀状の一部が見つかったけど、肝心の正子さんは見つからなかったんだ…。他の部屋の住人の方の遺体は発見されたのに、正子さんの遺体はおろか、骨のかけらさえも見つからなかったんだって…。
きっと、パニックになったよね…。 悦子さんは、正子さんが避難できる範囲の避難所を探したり、知り合いに聞いて回ったり、捜索活動にも参加したんだけど、 手がかりは何も見つからなかった んだそう…。膝が悪かった正子さんが、一体どこまで行けたんだろう…無事どこかで生きているんじゃないか…って、考えれば考えるほど、不安で押しつぶされそうになったと思う。
震災から半年後の7月。親戚に勧められて、アパートの跡地で 正子さんの葬儀 を行ったんだ。でも、遺体がないから、骨壷には焼け跡で見つかったがれきの欠片を入れたんだって…。「区切りをつけるため」とは言っても、本当にこれで区切りがつけられるのかな…。遺体が見つからない限り、どこかで生きているかもしれないって希望を捨てきれないんじゃないかな…。
悦子さんは、きっとこう思っているんじゃないかな…。 「区切りなんてつけられるわけない。お母ちゃん、今どこにいるの…?」 って。
その後も、目撃情報が寄せられるたびに、悦子さんは仕事を休んで、その場所まで会いに行ったんだって。もしかしたら、どこかで記憶喪失になっているのかもしれない…。藁にもすがる思いで、正子さんの大きな写真を載せたチラシを、須磨区中に貼ったんだそう。でも、 お母さんは見つからなかった… 。
30年という長い年月が経っても、行方不明の家族を想う気持ちは、決して消えることはないと思う。 悦子さんのように、大切な人を突然失った悲しみ、そして、 「いつか帰ってきてくれるかもしれない」 というわずかな希望を抱きながら生きていくのは、どれほど辛いことなんだろう…。
私たちは、この震災の記憶を風化させることなく、 「あの時何が起きたのか」「何が大切なのか」 を語り継いでいかなきゃいけないと思う。そして、今もなお、行方不明の家族を捜し続けている人たちの 希望の光 になるように、何かできることはないか、考えていかなきゃいけないんじゃないかな。
30年経ってもお母さんを探し続ける悦子さんのお話、胸がぎゅーってなったよ。イチローさんも震災を経験してたんですね…。色んな人に色んな想いを残した震災だったんだなぁ…。
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