
なんか面白そうな話じゃん!教皇の遺体を法廷に?気になる〜!
異常な裁判!死後の教皇とその運命👑💀
こんにちは、みんな!今日はちょっと不思議な歴史の話をするよ。特にカトリック教会の教皇(ポープ)の死後の出来事についてなんだけど、なんと、かつての教皇が自分の死後に裁判にかけられたんだって!😲詳しく見ていくね。
教皇フォルモススの時代🏰
まず、この話の主役は「フォルモスス」という教皇。彼が教皇に選ばれたのは891年のこと。なんと、彼が選ばれた時には、イタリア全体が政治的に大混乱だったんだよ。📜
教皇座の争奪戦⚔️
この時代は「教皇の鉄時代」とも呼ばれていて、たくさんの勢力が教皇の座をめぐってバトルを繰り広げていたの。フォルモススの前任者とか、他の偉い家族たちが権力を狙っていたんだよ。歴史家のEamon Duffyによると、教皇の座は、単なる民間のリーダーシップを越えて、多くの血が流れた戦いの象徴でもあったって。
教皇になっても長生きできない🤔
教皇になるのはすごく大変なことだったみたい。実際、この時期には24人もの教皇が短期間で交代していて、その中には9人もがわずか9年で教皇の座を離れてしまった。😱逆に言うと、20世紀にはたった9人しか教皇がいなかったっていうから、どんだけ大変だったかわかるね。
フォルモススの教皇としての活動📅
フォルモススは政治にとても深く関わり、他国の皇帝を助けたりしていたんだ。896年には、東フランクの王アーンフルフをイタリアに招いて、教皇として彼を皇帝に任命したよ。しかし、彼の人生はそれほど長くなかったの。彼は897年4月に亡くなってしまうんだ。
死後の裁判!👻⚖️
でも、フォルモススの物語はここで終わるわけじゃないよ。彼の後任である教皇ステファン6世は、897年にフォルモススの遺体を掘り起こして裁判を開いたんだ!😳遺体は聖職者の服に身を包まれ、教皇の座に座らされ、その冤罪を訴える代理人だって用意されたというから驚き!
異様な裁判の様子🗣️
残念ながら、この裁判の記録は残っていないけれど、遺体はいくつかの罪で告発された。教皇ステファン6世は、フォルモススを「偽証」「教皇の地位を求めた」となどなどという理由で非難したんだ。😅
この異様な裁判では、教皇が大声で叫んだり、遺体を罵倒したりしていたとされているよ。その様子を恐れた聖職者たちは、ただ静かに見守るしかなかったらしい。
処罰とその後🩹
結局、フォルモススの遺体は罪を認められ、これからの処罰が決まることに。なんと、彼の手から3本の指が切り取られ、体はボロ布に包まれた後、テヴェレ川に投げ込まれたんだ。😱しかも、彼の遺体はすぐに見つかって、再び教会に運ばれてきたらしいよ。
教皇ステファン6世のその後🚫
一方、ステファン6世は裁判劇が終わった後もすぐにはうまくいかなかったようで、彼自身の治世も長続きせず、捕まって絞殺されてしまったとのこと。🐗心配しなくても、彼の遺体は再び裁判にかけられることはなかったよ。
終わりに✨
歴史には本当に驚くべき物語がたくさんあるよね!今回は、教皇の死後の裁判という信じられない出来事を紹介したけれど、どうだったかな?🤔次回もまた面白い話を持ってくるからお楽しみにね!

なんかこの話、ちょっと怖いけど面白いよね!歴史ってこんなにドラマティックなんだなって思ったら、つい夢中になっちゃったよ。みんなももっといろんなこと知りたくなっちゃうよね、次にどんな面白いことが待ってるかな?
コメント
ティベル川に投げ込むとか、もう中世のバイオレンス映画じゃん…しかも教皇がやったってのが更にヤバい。その後再葬とか、一体何が何だかわからん。
ティベル川…水質大丈夫だったんか?それより、この裁判の記録とか、めっちゃ貴重資料じゃね?誰が保管してたんだろ。
再葬されたってことは、結局罪状は覆ったってこと?後世の評価とか、どうなったんだろ。この事件、現代の法解釈でどう判断されるのか興味あるわ。